防衛省のある市ヶ谷は、江戸時代には徳川尾張藩の江戸屋敷があり、明治から昭和にかけて陸軍士官学校が設けられ、1941年からは大本営陸軍部など陸軍の中枢部が置かれるなど、時代を超えて攻めと守りの中枢を担う地域でした。戦後、自衛隊駐屯地となり、2000年5月に六本木から防衛庁が移転し、防衛省となったことで、大きな権限を持つこととなりました。
<興味深い市ヶ谷記念館の大講堂のつくり>
1937年(昭和12年)に旧陸軍士官学校本部として建設された一号館は、昭和21年5月から23年11月まで極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使われていました。三島事件があった場所としても知られ、歴史的事件の舞台であったことから庁舎移転に伴い部分的に移築・復元されました。大講堂の床は30㎝角のナラ材をはじめ、創建当時の部材を昔と同じ配列で復元しています。特に際立った作りは、天皇陛下のための「玉座」や玉座へ上がるための階段、2階からは一点遠近法により玉座の奥行きがあるように見せる設計など、天皇陛下のための設計が随所に見られました。
<東京裁判>
大講堂は、昭和21年5月から23年11月まで極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使われました。1945年9月11日の東条英機らの逮捕令を皮切りに12月6日までに100名を超える日本の戦争指導者を逮捕・拘禁し、公判は1946年5月3日に開始、2年7ヵ月後の1948年11月12日に被告への刑の宣告がされました。裁判は影をつくらないようにと極度に照明を明るくした下で行われたそうです。
東京裁判や戦争の解釈については様々ありますが、ここではアジア諸国は、日本が大国と戦争したことで独立を遂げることができ、今の平和で豊かな日本があるのは、戦争があり、国のために戦ってくれた人々のおかげであるからなのだ、との一貫した思いを感じました。
人それぞれの思いがあるものの、私は歴史を学び、戦争という過ちを繰り返してはならない=歴史を学ばなければ、戦争を繰り返してしまう ということを胸に刻みました。
【参考】
毎週月曜から金曜日までの平日、午前・午後の各1回の提示ツアーが組まれています。個人・団体と
も予約制となっており、見学所要時間は2時間強、写真付の身分証明書提示が必要となります。