政治家の城・権力の館「鳩山会館」を見る

 東京都文京区音羽にある、和夫に始まり四代に渡り政治家を輩出している鳩山家の鳩山会館は有楽町線江戸川橋駅から徒歩5分にあります。広大なその敷地は、音羽通りから20mほど入ったところに門があり、建物までは100m程坂道を登ります。鳩山家(鳩山一郎の父、和夫)がこの音羽に居を構えたのは1891年(明治24年)で、2階建ての洋館が完成したのは1924年(大正13年)です。設計を手掛けたのは大正・昭和初期を代表する建築家の岡田信一郎氏で、バラの庭を前に建つイギリス風の外観と鳩・みみずく(知性の象徴だそうです)のモチーフ、応接室など見所満載です。また、庭を見渡せる2階のダンスホールは一般にも貸し出ししています。都会とは思えないような心地よい空気と大正・昭和の時代を感じてみるのもよいでしょう。
 「政治家の城・権力の館」と言われるのは、明治25年に衆議院に当選し、衆議院議長、第1次大隈内閣外務次官を歴任した鳩山和夫から四代に渡り政治家を輩出したことにあるのでしょう。特に和夫の長男の鳩山一郎は自由民主党を結成し、初代総裁として自民1党支配の「55年体制」を船出させました。その後、一郎が亡くなって15年後、長男の威一郎も参議院選挙で初当選しました。1986年の衆参同日選挙では威一郎の長男(現民主党の幹事長)由紀夫と次男(自由民主党の前法務大臣)の邦夫が衆議院選挙で当選し、史上初の親子3人当選を果たしています。その後、威一郎は亡くなり1992年までは共に自民党だった兄弟は宮沢政権末期の自民党分裂以降は、兄の由紀夫がさきがけ→民主党、弟の邦夫が新進党→自民党復活と別の道を歩みました。途中、民主党結成には兄弟が力を合わせた時期もありました。まさに、ねじれ国会の先取り的な印象の存在となりました。そして、現在に至っています。
 会館の奥にある家にはかつて由紀夫、邦夫兄弟家族が住んでいました。当時は民主党と自由民主党の街宣車が並んでいたこともあったそうです。私たち国民にはなんとも不思議なことで、首を傾げてしまいます。並んだ街宣車は一体何を語り、何か打ち合わせでもしていたのでしょうか?政治の不思議がここにありました。